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ワルキューレ2幕より 死の告知の場面 ヴッパータール1974/75 [歌手]

Portrait昨年5月、同好の方から思いがけない情報をいただいて、ネット経由で聞かせていただいた録音が入っているCDです。ドイツのソプラノ、Ute Vinzing ウーテ・ヴィンツィング(1936.09.09-  )の1972年〜1985年の公演の抜粋録音を集めた4枚組。

リブレットによると、歌手デビュー(1967年)したリューベックで、1983年に舞台へのお別れの公演をしたということです。ネット記事によれば、リューベックの後、1971年から1976年まで、ヴッパータールだということです。そういえば、P.ホフマンもデビューはリューベックでした。ヴッパータールでは同僚だったというわけですね。

utevinzing.jpg収録曲はフィデリオ@ポートランド、低地地方@ヴッパータール、アラベラ@ヴッパータール、トスカ@ヴッパータール、さまよえるオランダ人@ベルリン、タンホイザー@ヴッパータール、ローエングリン@ライプチッヒ、トリスタンとイゾルデ@フランクフルト、ワルキューレ@ヴッパータール、ワルキューレ@パリ、ジークフリート@パリ、神々の黄昏@パリ ですが、いつの公演かは記載がありません。どういう録音かはわかりませんが、音は良いとは言えません。いきなり凄い咳とかありますし。右の写真はイゾルデに扮したヴィンツィング。

ホフマンがジークムントを担当しているのが、ワルキューレ@ヴッパータール。2幕のブリュンヒルデのジークムントへの死の告知の場面です。ホフマンは2番目の専属劇場ヴッパータール(1974ー1975)でジークムントデビューしていますから、きっとこの一連の公演のものでしょう。目下のところ、もっとも古い、つまり若いホフマンの声の記録です。しばらくの間HPのほうに音声ファイルを載せておきますので、興味のある方はどうぞ。ワルキューレ@ヴッパータール

 1972年からリューベック市立劇場の専属歌手だったペーター・ホフマンは、ある日、ヴッパータール歌劇場監督、演出家のクルト・ホレスの目にとまり、1974年のシーズンには、ヴッパータールに移ります。そして、この劇場で、はじめてワーグナーの「ワルキューレ」でジークムントとして舞台に立ちます。

 ヴッパータールはドイツ中部の西寄りにある都市で、世界で一番古い1900年開業の、しかも全線の9割がヴッパー川の上を走るという珍しいモノレールがあるそうです。ヴィム・ヴェンダース監督の映画「都会のアリス」(1973)に、この街がちょっと登場しますが、川の上を走るモノレールは印象的でした。

 演出家のゲッツ・フリードリヒも、ホフマンがリューベックにデビューするや否や、いちはやく注目し、バイロイトのヴォルフガング・ワーグナーに彼のことを告げ、W.ワーグナーは1973年8月12日に、バイロイト祝祭劇場でのオーディションに招きます。そして、1976年夏、バイロイト音楽祭にデビューしたホフマンはオペラ歌手として世界の注目を集めることになります。

 ヴッパータールでのジークムントは大評判になり、ハンブルク歌劇場、パリ・オペラ座などの総監督を務めたロルフ・リーバーマンをはじめとする歌劇場の監督たち、有望な歌手を常に探しているエージェントたち、そして、ワーグナー・ファンが各地から押し掛け、まるで「ヴッパータール詣で」という有様だったそうです。ホフマンとしては、およそ十公演ほどだった毎公演、客席には重要人物が座っていると思わなければならなかったと言います。これによって、彼は、「キャリア爆発」のきっかけをしっかりとつかんだと言えるでしょう。

 「ヴッパータールで私ははじめてのジークムントを歌った。私は非常によく準備していた。もう五年も前から、この役で契約する場合に備えて、この役の勉強をはじめていた。それでも、すぐに決定的な成功を得られるなどとは思いもしなかった。 

 突如として、重要なオペラ劇場の有名な監督たちが、私を見、私の声を聴くために、わざわざ自らヴッパータールを訪れた。パリからリーバーマン、ハンブルクからはエヴァーディング、ウィーンからも、バイロイトからもやってきた。シュツットガルト歌劇場は、五年契約を提示したし、客演依頼は山のようで、私はノーザン・ウェストファーレン州の若い芸術家のための奨励賞を受けた。批評を読んだとき、はじめは開いた口がふさがらなかった。本当に自分のことが書いてあるのだろうかと思った。しかし、すぐに、これは、私のキャリアが始まったということなのだと思った。」

 というわけで、ヴッパータールには一年しか留まりませんでした。翌年からはシュツットガルト歌劇場と五年の専属契約を結びます。しかし、ヴッパータール時代こそ、大きな飛躍への前哨だったと言えるでしょう。ここで、初のジークムント役のほか、すでに身につけていたレパートリーを深めます。特にウェーバー「魔弾の射手」のマックス、ビゼー「カルメン」のドン・ホセなどです。客演もますます多くなり、まさに目の回るような忙しさでした。そして、もうひとつ、そのとき『魔弾の射手』を演出したジャンカルロ・デル・モナコの縁で、彼の父、マリオ・デル・モナコを個人的に知るというすばらしい経験をします。

※ジャンカルロ・デル・モナコ:1943年12月27生 演出家。


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コメント 2

ななこ

ホフマンの「キャリア爆発」
想像できますね。
ワーグナーファンの大興奮の様子が目に浮かびます。
30歳の若さでこの完成度。
その上あの容姿ですもの!
by ななこ (2012-02-11 00:08) 

euridice

>ホフマンの「キャリア爆発」
きっかけの公演の録音が一部にしろ聴けるなんて、ほんとに思いがけなかったです。みつけてくださった「新米ファンさん」に感謝、感謝です。

>ワーグナーファン大興奮
だったんでしょうね。


by euridice (2012-02-12 12:41) 

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