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年表 [歌手]

ある歌手の一生

 情報源は主として2冊の伝記ですが、この伝記、出演記録に関しては全く熱心ではなく
詳細な月日はあいまいなことも多く、出演リストもありません。
伝記からわかるものをとりあえず並べてみました。

年齢
  
1944
              8月22日マリエンバート(現チェコ) で誕生 
父はベルリン生まれの実業家、圧力機械の工場を経営。
母の実家は移動劇団を主宰。母も子どものころから舞台に立っていた。
歌手が生まれたころは、戦争中で劇団をたたみ、同地に定住中。 
終戦のころ、両親、母方の祖母と共に、避難民として当時の西ドイツに移動、ダルムシュタット近郊に留まる。
1948
4
ダルムシュタットに転居。弟フリッツ誕生
1949

1959
5

15
スポーツには、今にいたるまでずっと夢中だ。......いつも好んで走ったり、競走したりしていた。ごく幼いころから、走るのがものすごく速かった。......ある日、私は、陸上競技選手で、リレー競技におけるドイツ・チャンピオンの高等学校教諭、ジークフリート・シュミットに『発見』された。ジークフリート・シュミットは、私を何度かよく観察して、声をかけたのだった。『や、坊や、走るのが好きなんだろ』この一言で、私のスポーツ歴が始まったのだった。............私にとって学校時代にはスポーツだけが重要だった。自由時間はいつも運動場で過ごしていた。
1960
16
スポーツと並んで、私の興味は、音楽、つまりロック・ミュージックにあった。当時はまだ、クラシック音楽に対してはあまり関心がなかった。.............学校友だちやスポーツ関係の友人に、同好の士をみつけ、バンドを結成した
1961
17
十種競技では、17歳でヘッセン州の青少年記録保持者になった。
1962
18
          
1963
19
3月、徴兵、志願兵として国防軍入隊。軍隊に入ったとき、ロックバンドで演奏することは、やめた
半年後19歳で、同級生のアンネカトリンと結婚
妻とその両親の存在がなければ、私はクラシック音楽に真剣に取り組もうという気にはならなかっただろう。私の最初の手本は妻の両親だった。二人とも平均的なキャリアのオペラ歌手だったが、時代が違ったら、きっともっと成功できたに違いない。
1964
20
長男誕生
1965
21
次男誕生
軍務の傍ら、カールスルーエのエミー・ザイバーリッヒ先生について、声楽の勉強を始める
女教師は月謝をとらなかった。この時期、彼は全く支払うことができなかったのである。声楽の勉強の資金を得るために、国防軍の落下傘兵として更に6年間の契約をした。
1967
23
バイロイト音楽祭期間中、バイロイト出演中のジェス・トーマス(T)と知り合う
ジェス・トーマスと私は、それ以来、親友だ。大学での勉強が終って、軍隊の退職金を使い果たしたころ、私は、最初の契約開始を待っていて、どうやって四人家族を養ったらいいのか皆目見当がつかなかった。そんなときに、ジェス・トーマスは毎月アメリカから送金してくれた。
1969
25
この年の後半、除隊し、以後カールスルーエ音楽大学で勉強に専念 
1970
26
カールスルーエ音楽大学で勉強に専念 
1971
27
たぶんこのころ。学外のオペラ公演に参加。セム役(ノアの方舟、ブリテン)
ウィーンでコンクールに参加 (正確な日時は不明、1972年の可能性が大)
1972
28
秋、リューベック市立劇場、モーツァルト「魔笛」のタミーノで、オペラ歌手としてデビュー
1972/73年から2シーズン、リューベック市立歌劇場と専属契約

モーツァルト「魔笛」タミーノでデビュー。
この劇場で、イドメネオ(モーツァルト)
ネロ(ポッペアの戴冠、モンテヴェルディ)
ファウスト(グノー)
アルフレート(こうもり、Jシュトラウス、この役はずっと後に、コヴェントガーデンで、メータ指揮でも歌ったということです)など。

リューベック時代にすでにさまざまな客演をこなしていた。最初はルートヴィヒブルク音楽祭でタミーノを歌った。その1年後突然ルートヴィヒブルクの総監督からフィデリオのフロレスタン役を5日間歌えるかどうかという電話がかかってきた。
タミーノ(魔笛、モーツァルト、ルートヴィヒブルク音楽祭)
フロレスタン(フィデリオ、ベートーベン、ルートヴィヒブルク音楽祭)
鼓手長(ヴォツェック、ベルク、バーゼル)
1973
29
リューベック市立歌劇場専属 
1974
30
1974/75年、ヴッパータール歌劇場と専属契約
今までの役に加えて、ドン・ホセ(カルメン、ビゼー)
マックス(魔弾の射手、ウェーバー、ジャン・カルロ・デル・モナコ演出
この縁でマリオ・デル・モナコと個人的に知り合うことができた
ジークムント(ワルキューレ、ワーグナー、大評判になり、ワーグナーファン、大劇場のインテンダントが押し寄せたとか)
パルジファル(ワーグナー、新演出) 
「キャリアがはじまると共に稼げるようにもなった。これは、相当収入の少なかった時代のあとでは、とても大事なことだった。私のエージェントは本当に熱心に客演契約を世話してくれたが、全てのことには当然ながら二つの側面があるもので、仕事が多ければ多いほど、それだけストレスも大きくなるという結果につながる。
ジークムント(ワルキューレ、ローエン、ボルドー、トウールーズ)
ウィーン国立歌劇場と16、7公演の客演契約

1975
31
ジークムント(ルーアン、ワルキューレ)
ローゲ(ラインの黄金、ワーグナー、ドルトムント 
一夜にしてセンセーションを巻き起こした。雄大な声と輝かしいテクニックをもったユーゲントリッヒャー・ヘルデンテノールである彼はこわいほどの悠然とした態度と抜け目のなさを備えたこの役を究極の微妙なニュアンスをもって演じきった)

春 パルジファル(ヴッパータール、シュツットガルト、ハンブルクで6週間に三つのパルジファル新演出初日に出演、「連邦パルジファル」と呼ばれた)

1975/76年から、シュツットガルト歌劇場と5年の専属契約
シュツットガルトとの契約は、特別の意味があったと言えるでしょう。ヴォルフガング・ヴィントガッセンが長い間アンサンブル・メンバーとして籍をおき、1974年に亡くなったのです。P.ホフマンの契約について当時のマスコミは大いに注目しました。
『....その声は、まだ完成の域には達していないものの、今日すでに、めったにない暗く低く柔らかい、ワーグナー・テノールへと運命づける響きにおいて傑出している。ホフマンはシルヴィオ・バルヴィーゾにも間違いなく感謝してよいところだ。彼は、最高の専門家たちの中、バルヴィーゾの下で大事に扱われた。....』(1976年3月16日付け、シュツットガルト・ニュース) シルヴィオ・バルヴィーゾ:指揮者1924.06.20- [スイス]


ジークムント(ワルキューレ、ワーグナー、ポネル新演出)
マックス(魔弾の射手、ウェーバー、アキム・フライヤー新演出)
パルジファル(ワーグナー、ゲッツ・フリードリヒ演出)
ローエングリン(ワーグナー)

10月 ヴッパータール  クリスティ(真の勇者、クレーベ、 新作
1976
32
7月、8月 バイロイト音楽祭デビュージークムント(ワルキューレ、シェロー新演出、ブーレーズ指揮。1977年を除いて1980年まで毎年出演)
パルジファル(W.ワーグナー演出)


 
アンネカトリンと別居(離婚)

秋:タミーノ(魔笛 シュツットガルト)
10月ローゲ(ラインの黄金、ウィーン 10月15日 録音があるらしい・・)
12月18日 パリジークムント(ワルキューレ)

バイエルン放送でドヴォルザーク作曲のオペラ「ルサルカ」(ドイツ語歌唱)を録音。王子役。
バイエルン放送交響楽団、マレク・ヤノフキ指揮、リリアン・ズキス(Lilian Sukis 1942.06.29- ソ連(リトアニア)→カナダ)、テオ・アダム (2005年11月22日19:03バイエルン4で放送)

1977
33
ミュンヘン:ローゲ(ラインの黄金)、パリ:ジークムント(ワルキューレ)
 
6月11日、バイロイトのリハーサルが始まる前日、オートバイで、ハノーファーの高速道路の駐車場を走行中、一方通行を逆走してきたパトカーにはねられ重傷を負い、約9か月休業。 
1978
34
2月、4月13、15日 コヴェントガーデン(ロンドン)マックス(魔弾の射手、フリードリヒ演出)
シュツットガルト ジークムント(ワルキューレ、ポネル演出)
6月、アルフレート(こうもり、ハンブルク)
7月、8月 バイロイト音楽祭ジークムント(ワルキューレ、シェロー演出、ブーレーズ指揮)
9月コヴェントガーデンジークムント(ワルキューレ フリードリヒ演出) 
ローエングリンとして、ハンブルクとミュンヘン、フロレスタンとしてウィーン、パルジファルとしてミラノ 

録音:タミーノ(魔笛、ロンバール指揮、ストラスブール)
1979
35
2月 ミュンヘン、ジークムント(ワルキューレ、ラインハルト演出)
7月、8月 バイロイト音楽祭ジークムント(ワルキューレ、シェロー演出、ブーレーズ指揮)
ローエングリン(ローエングリン 新演出、ゲッツ・フリードリッヒ、1982まで毎年出演)
フロレスタン(フィデリオ、ショルティ指揮、シカゴ、演奏会形式)

10月 バッカス(ナクソスのアリアドネ、R.シュトラウス ハンブルク歌劇場)

録音:フロレスタン(フィデリオ、ショルティ指揮、シカゴ)
1980
36
1月 24日、28日  ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場デビュー  ローエングリン

3月 フロレスタン(フィデリオ、ベートーベン、ウィーン国立歌劇場)
3月30日、4月7日 ザルツブルク復活祭音楽祭パルジファル、カラヤン

7月、8月 バイロイト音楽祭ジークムント(ワルキューレ、シェロー演出、ブーレーズ指揮)
ローエングリン(ローエングリン ゲッツ・フリードリッヒ演出)

マーラー作曲 大地の歌(ロスアンゼルス、 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、〜WE NEED A HERO)
最初のアメリカ公演ではマーラーの『大地の歌』を歌うことになったという記述があるのですが
1980年、ロサンゼルス、ジュリーニ指揮、タチアナ・トロヤノス(Troyanos, Tatiana1938.12.09-1993.08.21 アメリカ)と。(WE NEED A HERO)


ロサンゼルスでの演奏会形式の「ワルキューレ」でジークムント、オザワ・セイジ指揮、ジェシー・ノーマンのジークリンデ

録音パルジファル(カラヤン)
ワルキューレ(バイロイト音楽祭、シェロー&ブーレーズ、録音SONY、録画ユニテル)


1981
37
1月 トリスタン(トリスタンとイゾルデ1幕、バーンスタイン、ミュンヘン、演奏会形式)
4月 トリスタンとイゾルデ2幕、バーンスタイン、ミュンヘン、演奏会形式
4月11日、20日 ザルツブルク復活祭音楽祭パルジファル(カラヤン)
7月、8月バイロイト音楽祭ローエングリン(演出、ゲッツ・フリードリッヒ)
11月 トリスタンとイゾルデ3幕、バーンスタイン、ミュンヘン、演奏会形式

12月17-20-22-24-27日:スカラ座 ローエングリン アバド、ストレーラー(=ストレーレル Giorgio Strehler)演出、コロ (12月7日)、イエルザレム(12月10-13日)と交替で

録音:武装した男(魔笛、ミュンヘン、ハイティンク指揮)
トリスタン(トリスタンとイゾルデ、バーンスタイン、ミュンヘン、演奏会形式上演のライヴ録音)
 
1982
38
1月26日〜 パリ ローエングリン

4月 5日、9日、13日、17日 ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場 パルジファル

7月、8月 バイロイト音楽祭ローエングリンパルジファル(新演出、ゲッツ・フリードリヒ演出、レヴァイン指揮、百年記念上演、1985年まで毎年出演、1985に録音)

パリ・オペラ座、ローエングリンでシーズン開幕
モスクワ、ボリショイ劇場、ローエングリン(ハンブルク歌劇場公演)
チューリッヒ、ローエングリン(急な代役)
11月19、23,28日、12月5、8、11日サンフランシスコ歌劇場、ローエングリン(これは、ほんとうに、特別に上出来の上演で、心から誇りに思っている。この『ローエングリン』はラジオで中継放送され、幸運なことにその録音が私の手元にある。)

テレビ番組「ホフマンの夢」:このショーのために彼はシナリオを書き、そのショーの中ではデボラー・サッソンと一緒に歌い、演じた。

録音、録画:バイロイト音楽祭、ローエングリン

秋に発売のポピュラーの録音、「ロック・クラシックス」....最初のロックの試みが、数週間で50万枚を超えるレコード売り上げ・・
1983
39
2月11、16、18、20、23、26日 ベネチア、フェニーチェ座、パルジファル(ワーグナー没後百年記念:ガブリエレ・フェッロ指揮、ピエール・ルイジ・ピッツィ演出)

4月14、17、20、22、24日:ローエングリン、ミラノ、アバド指揮、ストレーラー(=ストレーレル)演出

5月28日、6月3日、8日、12日、16日 サンフランシスコ歌劇場、ジークムント(ワルキューレ)

7月、8月 バイロイト音楽祭パルジファル(演出、ゲッツ・フリードリヒ演出、レヴァイン指揮)
8月 デボラ・サッソンと結婚

録音:エリック(さまよえるオランダ人、ワーグナー、カラヤン指揮)
オルフェオ(オルフェオとエウリディーチェ、パンツァー指揮)
アリア集、『ペーター・ホフマン、リヒャルト・ワーグナーを歌う』
連続テレビ映画『リヒャルト・ワーグナー』に最初のトリスタン歌手、シュノール・フォン・カロルスフェルトとして出演
デボラ・サッソンの録音、プッチーニ&ヴェルディに協力。ボエームからのデュエットは後のベスト集にも入っています。

Marieluise Mueller PETER HOFMANN Singen ist wie Fliegenが出版されました。

1984
40
2月 26日 ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場 リザネク25周年記念ガラ
2月 ベルリン・ドイツ・オペラ、フロレスタン(フィデリオ  ポネル新演出、レオノーレはカタリーナ・リゲンツァ。この公演のあとのように、評論家が全員一致で肯定的な結果を出すことは珍しい。

4月14日、ザルツブルク復活祭音楽祭ローエングリン(カラヤン)、上記フィデリオと同様の肯定的反響を得た。ラジオ放送あり

6月 アイゼンシュタイン(こうもり、Jシュトラウス サンフランシスコ、デボラ・サッソン@アデーレ)

7月、8月 バイロイト音楽祭パルジファル(演出、ゲッツ・フリードリヒ演出、レヴァイン指揮)

秋 ベルリン・ドイツ・オペラ、ジークムント(ワルキューレ、ゲッツ・フリードリヒ新演出)

12月23日〜 チューリッヒ、ワルター・フォン・シュトルツィング(マイスタージンガー、新演出。プレミエ12月3日は捻挫で出演できず、ルネ・コロが代役、23日から出演。)

二番目のポップスのレコードである「ペーター・ホフマン2」を録音した。
最初のロック・ツアー「バンドとオーケストラによるペーター・ホフマン 1984年」
1985
41
2月 22日、26日
3月 2日  ワルター・フォン・シュトルツィング (マイスタージンガー ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場)


7月、8月バイロイト音楽祭パルジファル(演出、ゲッツ・フリードリヒ演出、レヴァイン指揮)

12月 20日、23日、28日   ローエングリン(ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場 28日ラジオ放送)

6月4、9、15日ジークムント(ワルキューレ)サンフランシスコ歌劇場

録音:パルジファル(バイロイト音楽祭
ズービン・メータの指揮で、エヴァ・マルトン、マルティ・タルヴェラ、ニューヨーク・フィルハーモニー・オーケストラと共に『ワルキューレ』の第一幕のライブCD録音
 ドイツ語の新曲による新しいアルバム『我らの時代  UNSRE ZEIT』を録音
デボラ・サッソンとバーンスタインの曲を集めたアルバムを録音、BERNSTEIN ON BROADWAY
1986
42
1月 4日、7日、10日、16日   ローエングリン(ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場  10日ラジオ放送&テレビ放送)
2月、3月、ドイツ、オーストリアを巡るツアー、ライヴ録音があります。

4月 10日、14日、19日   パルジファル(ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場  19日ラジオ放送)
5月 ヴィスバーデンの五月祭でジークムント(ワルキューレ)

7月、8月バイロイト音楽祭トリスタン(トリスタンとイゾルデ、ポネル演出、バレンボイム指揮)ペーター・ホフマンは声の調子も良かった。ミュンヘンの新聞は次のように書いた。  「ペーター・ホフマンは、あらゆる悲観的な予測にもかかわらず、上演の夜を粉砕しかねないほどに懸念された役を、驚嘆に値する調子の良さで乗り切った。彼は実に美しく叙情的な方向を示しており、三幕における安定した声には、唖然とさせられた」 それでも、観客の中の、あの一派はペーター・ホフマンがポップスをやるという「逸脱行為」を断念しようとしないことで、気分を害していることを表明した。

 9月22日、25日、30日、10月 8日、13日、17日ジークムント(ワルキューレ、ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場)

『ロック・クラシック2』を録音
1987
43
3月 7日 ジークムント (ワルキューレ、オットー・シェンク演出、レヴァイン指揮)ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場 7日ラジオ放送
3月  ハンブルク パルジファル
7月 ヴェネチアでローエングリン
7月、8月 バイロイト音楽祭トリスタン(トリスタンとイゾルデ、ポネル演出、バレンボイム指揮。
初日には、胃の具合が相当悪かった。.......完全に気分の悪い状態だったにもかかわらずトリスタン役をやり通した。
メトロポリタン歌劇場、
いくつかの慈善ガラ・コンサート

秋、東ドイツでのポピュラー・コンサート

このころから、体調不良が目立つようになったようです。
最初に問題が影を落としたのが1987年、ボン・オペラのパルジファルのプレミエのキャンセルだった。また同年バイロイト音楽祭のトリスタンのときも観察者の見解によれば納得がいかなかったということだ。

1988
44
3月14日、19日ジークムント (ワルキューレ、オットー・シェンク演出、レヴァイン指揮)ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場  19日ラジオ放送
4月2日、ウィーンでのパルジファル17回のカーテンコールを受け
ボンでの一連のワルター・フォン・シュトルツィング(マイスタージンガー、ワーグナー)では徹夜でチケットを求める人の列ができた。
ジエノヴァでジークムントを数回、マンハイムでシュトルツィング(マイスタージンガー、ワーグナー)
7月、8月 バイロイト音楽祭パルジファルワルター・フォン・シュトルツィング(マイスタージンガー、M.ショーンバット指揮、W.ワーグナー演出)、ジークムント(ワルキューレ、ハリー・クプファー新演出、バレンボイム指揮)

秋、バルセロナでのパルジファルやウィーンでのジークムント(ワルキューレ)、トリノでのリング、ベルリンのリングの再演のジークムント、マンハイムのシュトルツィングの再演

ジークフリート役は、2月12日初日の新演出、メトロポリタン歌劇場で歌う予定があり、準備も進んでいたようですが、残念ながら、ひどい気管支炎のため、キャンセル。この仕事は延期せざるをえなくなった。同時に、神々の黄昏のジークフリート・デビューは「ジークフリート」のあとにするのがベストであるという慎重な決断がなされた。WE NEED A HERO

ポピュラーの録音、『モニュメント』

1989
45
ウィーンで、ジークムントと魔弾の射手のマックスの再演

7月、8月 バイロイト音楽祭ジークムント(ワルキューレ、ハリー・クプファー新演出、バレンボイム指揮) 
ジークムント(ワルキューレ、ウィーン)
ワシントンでフリードリッヒのリングでジークムント:ベルリン・ドイツ・オペラのメンバーと共に、ドイツ連邦共和国存続40周にちなんで
ワシントンのケネディ・センターに出演、続いて日本へ

クリスマスのCD『聖しこの夜』

1990
46
4月、来日(サヴァリシュ指揮でワーグナーから3曲歌ったが、絶不調・・・)

オペラ座の怪人(ロイド・ウェッバー、ハンブルク、ドイツ初演。
私はミュージカルを歌うつもりはなかった... ところが、『オペラ座の怪人』を見て、すっかり感動してしまった
キャスト・レコーディング(ハイライト)
リハーサルも含めて1年半ハンブルクに滞在、およそ300公演に出演。)

ポピューラーの録音、ワイルド・アンド・ロンリー・ハート
この年の秋、デボラ・サッソンと離婚
1991
47
オペラ座の怪人(ハンブルク、ドイツ初演)

ポピューラーの録音:エルヴィス・プレスリーの歌を集めたアルバム
1992
48
2月、パルジファル(マンハイム)

秋、10月3日〜11月2日 ポップス・ツアー LOVE ME TENDER - TOUR '92
第一部が、ポップ・ソング、『オペラ座の怪人』からの抜粋、バラードで、第二部が、エルヴィス
1993
49
春、1992年秋のポップス・ツアーの再演

秋、『オペラ座の怪人』でクリスティーン役だったアンナ・マリア・カウフマンと、北ドイツ放送交響管弦楽団と共に、ミュージカルのレパートリーだけを集めた『ミュージカル・クラシック』ツアーに出かけた。(ビデオ) 
1994
50
春、『ミュージカル・クラシック』再演ツアー
「1994年の『ミュージカル・クラシック・ツアー』のときにはすでに、手が相当にふるえていて、隠せないこともあった。集中するのが困難だった。腕が何となく自分のものではないような感じが続いて、それに対して為す術がなかった.....」

8月 22日 アルバム『カントリー・ロード』 8月22日発売

11月3日、4日、5日 二度目の来日、三枝成彰プロデュースのリサイタル、静岡 メディアホール オープニング記念コンサート、デボラ・サッソンとミュージカルからの曲を中心に。ピアノ伴奏で。
好調ではなかったという批評を読みました(音楽の友誌)。後に実際にいらしたファンの話では、かなり不調だったようで、「いかなくてよかったわよ」と言われました。

『すでに相当前から健康を害しているように感じていた...............ある日のこと、あくびをするたびに右手がふるえるのに気がついた。もっとも、この関連性を初めて意識したのは、相当あとのことだ。とても奇妙な感じだった。そのほかにも、何だか変な感じがしていた。何か説明できない衰弱感があった。』〜伝記より
1995
51
3月、4月、5月 カントリー・ロード・ツアー

ツアー後、医者巡り。アメリカの病院で、パーキンソンとの診断を受ける。病気のことは伏せて、投薬しながら音楽活動を継続。

1996
52
ポピュラーの録音、アルバム 『ロック・クラシック、ラブ・ソング』
1997
53
夏、バート・ゼーゲベルクのカール・マイ劇でオールド・ファイアハント役

初めてのベスト盤発売
1998
54
ポピュラーの録音、アルバム『ロック・クラシック、ユア・ソング』
1999
55
8月、パーキンソンであることを、大手の大衆紙に公表
1999年8月にパーキンソン病であることを公表したあとは、この病気のことを、世の中に知らせることも、ペーター・ホフマンの仕事になった。そして、ペーター・ホフマン・パーキンソン研究プロジェクトの設立によって、パーキンソン病研究を積極的に援助している。
10月、11月 『オペラ座の怪人』で相手役だったアンナ・マリア・カウフマンと共に、20以上の都市で、『ミュージカルとポップスからのハイライト』を歌った。
2000
56
12月、ソフィア・ラジオ・シンフォニーオーケストラと共に『2000、聖夜』のクリスマス・ツアー を行って、再び舞台に立った。
2001
57
インターネットにホームページを開設
2003
59
3月、Marita Tuerschmann PETER HOFMANN Singen aus Leidenschaft が出版されました。
2004
60
60歳の誕生日にあたって、  もはや復帰の可能性のないことを表明
2009
65
ホームページ消滅〜理由不明
進行性の難病は、その進行を止められません。
認知症の母を20年近く見たからよくわかります。
2010
66
11月29日死去


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TV出演DVD [歌手]

2012.11.19
ドイツ・アマゾンは相変わらず早いです。仕事から帰ってみたら届いてました。突発性難聴になってから、すぐに回復したにもかかわらず、なんとなく、あまり音楽を聴かなくなっていたのですが、久しぶりに聴いています。PALなのでパソコン視聴です。ポピュラーは長い間もっぱら音だけでした。インターネット時代になってから、ユーチューブなどで少しずつ映像も見られるようになりました。オペラ歌手としてひかれたせいなのか、慣れないせいなのか、私としてはやっぱり映像はオペラがいいと思っています。このDVD、ユーチューブにあるものが多いですが、ハンナ・シュヴァルツとのカルメンの一場面は、はじめてです。ドイツ語歌唱。↓下の写真は1983年刊の伝記にあったものです。「ミス発見者」のフリッツ、ZDFの番組『音楽が切り札 1979年、グラーツ』のために撮影中の兄と一緒に(1979.10.20放映)との説明がついています。この時の映像でしょう。
jose.jpg


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コンサート@パリ1979年 [歌手]

HPで一部紹介しているマリア女史の著書に1979年4月28日のパリでのORTFの演奏会でのマックス@「魔弾の射手」を聴いたことが書かれています。彼女からのカセットにこれがありました。マレク・ヤノフスキ指揮、ジャニーヌ・アルトマイヤーとのコンサートで、演奏曲目は「魔弾の射手」「タンホイザー」「ローエングリン」「ワルキューレ」からの抜粋。そして、びっくり仰天。日本語の解説の断片が聞こえます。おそらくこれはNHKの放送を録音したものです。日時は不明ですが、おそらくNHKのFM放送と考えられます。彼女がどのようにこれを入手したのかは不明ですが、音源が日本だったとは驚きです。

「 ホフマンは魔弾の射手(ウェーバー)のマックスを、そのキャリアの前半に、頻繁に歌ったが、今もなおこの役は彼のレパートリーに含まれている。あの事故のあとの1978年、この役でコヴェントガーデンに復帰したとき、アラン・ブリスはこう書いた。彼は本物のヘルデン・テノールの音質を披露した・・・  文句のつけようのない賞賛に値するのは、彼の旋律線を浮き立たせるすばらしい感性だ。 
 マックスのDurch die Waelder(森を抜けて)の流麗な旋律の進行におけるベル・カント的心地よさは1979年4月28日のパリでのORTFの演奏会のアリアで聴くことができる。ホフマンは装飾音を柔軟に心地よく処理すると同時に英雄的な高らかな響きを加えている。Lebt ein Gott?(神はいるのか)をカバレッタで仕上げるとき、このフレーズは神の沈黙に対して怒りの拳を振るうような激しさを示す。このアリアはホフマンの描くマックス像の特徴である失望と落胆の落ち着かないマックスの気分をとらえている。そこにいるのは、若くて、情熱的な猟師だ。抑え難い激しい愛に駆り立てられて、衝動的な行動をとる若い猟師。彼にとって射撃競技の出来事は全てが悪夢だ。最終的にアガーテへの誠実な深い愛情によって救われる若い猟師。ホフマンは国民的人物像を、生き生きと目の当たりに見せる。
 絵画のように見えることを要求された、アヒム・フレイヤー によるシュツットガルトの公演の静的な演出によってさえ、抑えられないほど、まるで電気を帯びているかのように生き生きとぞくぞくさせられる。ホフマンのマックスは説得力がある。揺れ動く気持ちと憂うつな気分に支配されているのを納得させられる。そして、そういう暗さにもかかわらず、ロマンチックな情熱を備えた、観客の同情を呼ぶ魅力的な人物にすることに成功している。 
            〜Carla Maria Verdino-Suellwold "WE NEED A HERO"1989」

伝記から
「もう絶対、何かアリアを歌いたい」と先生に迫ったとき、次の週末までに、魔弾の射手のマックスのアリアを練習してくることを、やっとのことで、許してもらえた。それを先生の前で歌ってきかせたとき、先生はなんとも言えない目をして、ピアノのふたをぱたんと閉めてしまった。私は、恐ろしいことになったと思った。 私は、声だけでなく表現も、完全に間違っていた。もちろんこのアリアは時期尚早だった。それは難しい種類のアリアというのではなく、生命を吹き込むように歌うことが難しいのだと、先生は教えてくれた。・・・魔弾の射手のマックスのアリアは、例えば、職人的な人々が、歌って、大成功できる。ただ、なんとなく良くないという感じが残る。・・」

♪森を抜けて♪


マックスのアリア、♪森を抜け野を越えて・・♪と歌うことぐらいしか知らず、どんな内容か特に注意したことがありませんでした。そこで、今回いつものように字幕を付けてみました。なんだか人生についていろいろ考えさせられてしまう、けっこう奥の深〜い歌詞でした・・・→字幕付きマックスのアリアのスライドショー



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テレビ放送:ポートレート1983年 [歌手]

rock_ring.jpg伝記その他によれば、1983年にRock around the RingあるいはRock around Wagnerというタイトルでいわゆるポートレートがテレビ放送されたということでした。

「 テレビは『Rock around Wagner』という特徴的なタイトルで「複線」歌手、ペーター・ホフマンのポートレートを撮った。オペラ活動の様子や、スタジオでのポップスの録音風景、「ロック・テノール」の私生活などがその内容だった。」(伝記2003年刊)

 クラシカジャパンではけっこう古いポートレート番組が放送されたりもしているので、なんとか放送してほしいと願っています。リクエストもしましたが、実現しません。もうろくにチェックもしていないのですけど・・・していないと思います・・ 

 先日、1989年論文の著者から、かろうじて最悪をまぬがれているような画質ですけど、この映像をいただきました。

 ちょうどリチャード・バートン主演のテレビ映画「ワーグナー」の撮影が行われていたころでしょう。その映像からはじまります。結婚直後だったデボラ・サッソンも頻繁に登場。シェーンロイトでの生活、ヴェネチアでのパルジファル、バーンスタイン、ミック・ジャガーが登場のニューヨークでのパーティ、ロッククラシックの録音風景など。 



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ワルキューレ2幕より 死の告知の場面 ヴッパータール1974/75 [歌手]

Portrait昨年5月、同好の方から思いがけない情報をいただいて、ネット経由で聞かせていただいた録音が入っているCDです。ドイツのソプラノ、Ute Vinzing ウーテ・ヴィンツィング(1936.09.09-  )の1972年〜1985年の公演の抜粋録音を集めた4枚組。

リブレットによると、歌手デビュー(1967年)したリューベックで、1983年に舞台へのお別れの公演をしたということです。ネット記事によれば、リューベックの後、1971年から1976年まで、ヴッパータールだということです。そういえば、P.ホフマンもデビューはリューベックでした。ヴッパータールでは同僚だったというわけですね。

utevinzing.jpg収録曲はフィデリオ@ポートランド、低地地方@ヴッパータール、アラベラ@ヴッパータール、トスカ@ヴッパータール、さまよえるオランダ人@ベルリン、タンホイザー@ヴッパータール、ローエングリン@ライプチッヒ、トリスタンとイゾルデ@フランクフルト、ワルキューレ@ヴッパータール、ワルキューレ@パリ、ジークフリート@パリ、神々の黄昏@パリ ですが、いつの公演かは記載がありません。どういう録音かはわかりませんが、音は良いとは言えません。いきなり凄い咳とかありますし。右の写真はイゾルデに扮したヴィンツィング。

ホフマンがジークムントを担当しているのが、ワルキューレ@ヴッパータール。2幕のブリュンヒルデのジークムントへの死の告知の場面です。ホフマンは2番目の専属劇場ヴッパータール(1974ー1975)でジークムントデビューしていますから、きっとこの一連の公演のものでしょう。目下のところ、もっとも古い、つまり若いホフマンの声の記録です。しばらくの間HPのほうに音声ファイルを載せておきますので、興味のある方はどうぞ。ワルキューレ@ヴッパータール

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NHK-FMで [歌手]

2011.5.17灯台下暗し。連休にやってきた次男とのおしゃべりで、彼がMDに録音したことを知りました。ご希望の方は↓からダウンロードしてください。
DL

名演奏ライブラリー -追悼 ペーター・ホフマン-
チャンネル :FM
放送日 :2011年 2月13日(日)
放送時間 :午前9:00~午前10:57(117分)
曲目詳細はこちら

通し録音は見事失敗。最初の30分だけ。但し、途中から音質が極端にダウンしたので、その前までだけアップします。


後の解説は新米ファン様が書き取ってくださいました。
コメント欄にありますが、こちらにも転記します。

『2曲目の後のトークから
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P・ホフマンは若い頃はスポーツマンとして活躍し、背も高く、ブロンドで、舞台映えする容姿だった。またその声はどこか気高く、気品を感じさせる歌声だった。当時はカラヤン、ショルティ、バーンスタイン等の名指揮者が競ってホフマンと共演した。

彼の音楽性は、ワーグナーを歌っても重くならず、威圧感を感じさせない爽やかさを感じさせた。それが多くの人を魅了した。

<『ワルキューレ』をかける>

さすがにジークムントを当たり役としただけあって、大変輝かしい声でその魅力を堪能させてくれた。
80 年代はロック歌手としても活躍し、オペラ歌手としては信じられないほどの人気を博した。ロック、ポップアルバムをリリースし、ミリンオンセラーを記録した。こうした活動は時に非難もされたが、ホフマンは、音楽への情熱はジャンルの壁を越えるとばかりにばかりにこうした活動を続けた。
こういった多彩な音楽活動が繰り広げられていた中の79年の『フィデリオ』から2曲お届けする。
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この後のトークは曲と共演者の紹介のみで、感想めいたものもありませんでした』

↓番組詳細の保存用コピペ

曲目詳細は↓


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ベートーベン 交響曲第九番 1977年パリ [歌手]

2011年12月
第九と言えば、なぜか年末。

2011.6.16
ずっと以前に情報を得て探し続けていたけど、もうすっかりあきらめていた
Beethoven SymphonyNo.9: Tce_Maazel_25 Mar 1977_Napier, Hesse, Hofmann,Nimsgern
が、ついに1978年ロンドンの「ワルキューレ」をリリースしてくれた愛好家サイトopera-club.netでリリースされました。
ベートーベン:交響曲第九番
LU-1013_front.jpgロリン・マゼール指揮
フランス国立管弦楽団
ラジオフランス合唱団
独唱:
マリタ・ネイピア
ルート・ヘッセ
ペーター・ホフマン
ジークムント・ニムスゲルン

1977.3.25 パリ
ラジオ放送

「新米ファン」さんの並々ならぬご尽力のお陰です。

旧記事にいただいた新米ファンさんのコメントを転載します。オプション以外は全部記入します。


「第九」とうとうリリースされました!!!!!
当初の予定よりやや遅れましたが、熱い(しつこい?)リクエストに応えて、普通なら無理な相談の手間をかけてリリースしてくれたものです。P・ホフマン・ファンの皆さん、是非購入してお聴きになって下さいませ!
Opera Club という愛好家サイトです。こちら↓です。
http://www.opera-club.net/release.asp?rel=409

他の演奏者によるものも含め、CD4枚分で僅か6ユーロ、約700円です。ラジオ・フランスの放送録音で録音状態はとても良いです。ダウンロード販売なので購入したら待たずにすぐ聴けます♪
問合せにもすぐに答えてくれるとても誠実なサイトです!!他にも何かリクエストがあって、このサイトが所有していたらリリースしてくれるかもですヨ。因みにバイロイトのラジオ放送はすべて持っていると言ってました。オランダのサイトですが、ヴッパータールの録音といい、オランダはレア録音の宝庫でしょうか?」

早速ダウンロードして聴いています。音もとても良いです。

ホフマンのオペラ以外のクラシックは、マーラー「大地の歌」しか聴けませんでしたが、
とてもポピュラーな第九が加わったのは、ほんとにうれしいことです。

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「ドイツの新白鳥の騎士」 [歌手]

2010.11.14:ついに来年、と再来年、「ドイツの新白鳥の騎士」が日本に登場予定です。来年秋にはヨナス・カウフマン・ローエングリン(バイエルン)←カウフマンはキャンセル。ボータ・ローエングリンとなりました・・、再来年6月にはクラウス・フローリアン・フォークト・ローエングリン(新国立劇場新演出、こちらにそのちらしがあります)です。←無事、来日出演。すばらしい公演となりました。

2010.10.7:下の方に追記があります〜〜
ちょっとおもしろい記事を見つけました。よく分からないところもありますが・・2009.4.27付けの記事のようです。見出しは「ドイツの新白鳥の騎士」
参考記事:ドイツの旧白鳥の騎士?

「時代は遷る・・」ですから「新白鳥の騎士」も必要ですが、
その前に、これこそ真の白鳥の騎士。ペーター・ホフマンのローエングリンをどうぞ。(左の写真はペーター・ホフマンのローエングリン。バイロイト音楽祭1979-1982。DVDも出ているもの)
☆ユーチューブ再生リスト:ローエングリン☆

さて、ネットで見つけた記事「ドイツの新白鳥の騎士」を簡単にまとめると、こういうことです。
「ドイツ人スターテノール不在のなか、ヨナス・カウフマンとクラウス・フローリアン・フォークトがドイツの歌劇場の舞台を奪還した。だが、フォークトは苦戦。カウフマンのほうが優勢で、快進撃中。フォークトはドイツ北部出身のいかにもゲルマン人タイプであるのに対して、カウフマンは南方系の風貌なのが最大要因である。何と言っても、人気があるのはラテン系のテノールであるから、それに近いカウフマンが絶対に有利」

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タグ:♪♪
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映画「ワイルド・ギース2」 [歌手]

いつごろだったか、偶然知って手に入れた、この映画のサウンドトラックLP(CBS クリック→ジャケットと歌詞)に、この映画のメインテーマをペーター・ホフマンが歌う、"SAY YOU'LL BE MINE" (1985)が入っています。この歌、サウンドトラックLPにしか入っていないようです。

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タグ:P.ホフマン
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ある女性評論家のホフマン@エリック論あるいは讃 [歌手]

エリックとは、ワーグナー作曲「さまよえるオランダ人」に登場する若い猟師で、悪魔の呪いによって、七年に一度だけ上陸を許されるだけで、永遠に海上をさまよいつづける幽霊船の船長オランダ人の絵姿に恋している娘ゼンタの恋人です。たぶん幼なじみでもあると思われます。ゼンタはエリックよりもオランダ人に夢中・・ お話はちょうどその七年目、やはり船長のゼンタの父が、なんとそのオランダ人を客として連れて帰って来ます。エリックの立場は急転直下、現実的に捨てられた恋人に。いさぎよく身を引くどころか、ゼンタにつきまとうわけですから、今風にはストーカー男と確定されかねません。

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